「チャレンジド=挑戦することを与えられた人々」
言葉で変えられることがある

 挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた子どもたち、人々。

お子さんのことを友達や知人にどう言われていますか?
「うちの子、障がいがあって・・・」「障がい児なの・・・」 私たちにとって自分の子どもは“差し障り”も“害”もありもせん。 でも、人に説明する言葉を探すとやっぱり「障がい児」になってしまいます。

竹中ナミ著『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房)より

私はたくさんの障害を持つ人とおつきあいをしてきましたけど、誰一人「障害者」と呼ばれて快く思う人はいませんでした。それはそうです。まるで「社会の障害になる人」みたいなイメージがありますもんね。(略)でも、他にいい言葉が見つからなくて、ずっと「障害者」で来てしまったわけです。ところが1991年にプロップを設立してしばらくした後、アメリカに住むプロップの会員から「チャレンジド」という新しい言葉を教えてもらって、「挑戦すべきことを与えられた人々」という意味がこめられているという話しを聞いた時、私は「これや!」とヒザを打つ思いでした。そして「言葉というものは文化そのものなんや」と痛感しました。日本語に「チャレンジド」にあたるようなプラス・イメージの言葉がないのは、障害を持つ人の「できない」面ばかりを見て、「できる」面を見ていく文化がないということでしょう。ないのなら、言葉と一緒に輸入して、積極的に吸収したい。そんなわけでプロップでは障害を持つ人を「障害者」と呼ばずに、「チャレンジド」と呼ぶことにしたんです。

チャレンジド・kidsの会
「障害者」や「障害児」は行政でも報道などでも一般的で、その言葉を使わないと手続き一つできないのが現実ですが、子どもたちを見ていると本当に「挑戦という使命や課題」を与えられていると、そして親も同じく「挑戦という使命や課題」を一緒に与えられたと思います。すぐには普及しない言葉かもしれませんが、少しずつ使っていくうちに、行動も気持ちも前向きになるような気がします。私たちクックルー・ステップも“チャレンジド・Kidsの会”として積極的に活動していきます。